子供の人生は子供のものなんです

勉強ができる子に育てたいと望む親は多いですね。勉強ができれば勝ち組になれると思っているのでしょう・・・。勉強ができるに越したことはないと思いますが、勉強だけが人生ではないですし勉強ができるから勝ち組になれるわけではありません。

飛び抜けて運動ができる子だって勝ち組になれるかどうかなんて分かりません。プロのサッカー選手になったってそこからが試練の道。簡単に第一線の選手でいられるわけではないですよね。第一線で活躍し続けるためには自分にストイックになり続ける必要があります。

自分を鍛え続けたってどこまで活躍できるのか誰にも分かりません。20代で選手生命が終わることだってあります。ケガをして再就職もままならないこともあるかもしれません。

人生何が勝ち組で何が負け組になるのか分からないのです。子育て中の親は子供の将来を身勝手に考えているところも多々あります。「子供の人生は子供のもの」ということを忘れないようにしましょう。

人との関わりを大切にする子育てを実践中

子供を持って一番に思った事は、色んな人と関わって育っていってほしいという事です。
自分自身の親があまり積極的に人と関わるタイプではなかったので、強く思っていた事なんです。
親の友達と呼べる人と会ったのはほんの数回でしたし、親戚もあまり付き合いがなく、従兄弟もいなかったです。

 
田舎の集落の様な場所だったので、もっぱら遊ぶのは近所の子供のみという環境でした。
小学校も遠かったので、学校が終わったら友達と遊ぶ事もなく直ぐに帰宅していました。
そういう環境だったので、人知れず寂しさを抱えていました。

 
自分の子供にはできるだけ赤ちゃんの頃から色んな人と触れ合ってほしいとの想いがあり、生後6ヶ月頃から積極的に外に連れて行きました。
図書館の読み聞かせに、保育園、幼稚園の子育て支援、地域の親子クラブ。

 
とにかく日替わりで色んな場所に出かけましたよ。
その中で自然と仲のよいママ友や友達に巡り会えたので、家に集まったり、みんなで外に出かけたりと楽しく過ごせました。

 
それが良かったのか、子供はあまり人見知りもなく、お喋りが大好きな明るい子に育ってくれています。

 
小さい頃から親が与えてあげられる、最高の環境を子供にプレゼントする子育てを心がけています。

子育てをする環境ではないと思いました

ここはマンションの七階です。共同住宅なので騒音が結構気になるのです。でも表参道で評判の小顔コルギに通っている私は憧れのマンション暮らしをしているのです。

でもこそもが生まれてからはとても気になっているのです。まわりの音が気になるのです。子育てをする環境ではないような気がするのです。もっと静かなところでの子育てをしたいと思ったのです。

実際私は田舎育ちです。近所がとても遠くて、空き地がいっぱいで遊ぶところもいっぱいありました。夫はマンション育ちなのです。都会での生活をしてきました。だからもやしっ子だったと言っています。

そうなってほしくありません。男の子だったらたくましくて、強い子になってほしいのです。だから決めました。引越しする事に決めたのです。私の実家の近くに家を建てる事にしました。

静かな田舎で子育てもいいなと思います。そして子育てしやすい環境だと思うのです。

どこで育てても同じではありません。やはり環境は大事なのです。環境で子供は変わるものなのです。

低学年のうちは親が手伝って勉強をする

低学年のうちは、やはりまだ親が手伝って勉強をする方が伸びると感じています。いや、これで天才的でなおかつ自主的に勉強するタイプの子供でしたら、放っておいてもいいと思うんです。けれども、大多数の子は、小学校1年生2年生のうちは、やはりまだまだあそびたい気持ちの方が強いですから。

「もう小学生だし勉強はしなくちゃいけない」とはわかっていても、すぐに他ごとをしてしまったり、はたまた宿題をしなくてはいけないとわかっていても、あそびの方を優先させてしまったりしますからね。ですから、ある程度の親の誘導は必要でしょう。

「いずれはわかってくれるはず」と、子供を信じて勉強もなにもかも自主性を尊重しているお子さんの家庭はありますけれど、まあ成績は良くはない上に、なかなかのやんちゃな子供ですからね。子供を信じる気持ちはどこの家庭も同じだとは思いますが、勉強に関してはある程度誘導してあげた方がいいと思うんです。自分でどれが必要だと感じて勉強するのは、もう少し先のことだと思いますし。

なにをやってものんびりや、でも変わります

うちの子は今小学生ですが、小さなころから何をやっても不器用で、行動も遅く、親としてもイライラすることが多いものでした。幼稚園のころには、トイレの順番に並ぶのも一番後ろ、お片づけをするのも一番最後、となにをするにも行動が遅かったです。
それに加え、運動もできませんでした。歩いたり、走ったり、ほかの子に比べると体力が全くなく、運動会も親子ともの楽しめるものではありません。子供の活躍を楽しみにしているほかの親がうらやましく思ったものです。
 これではいけないと思い、マラソン大会や運動会の前には一緒に走る練習をし、習い事では、水泳と体操に通わせました。そうすると、小学校に入ってから、ぐんと運動能力が伸びたのです。
あんなに走ることや運動が苦手だったのに、今では運動能力は中の上と言えるくらいです。つくづく、決めつけてはいけない、この子は無理だ、という考えは子育てに必要ないな、と思いました。子供の能力って無限大なんですね。

夫婦共働きでの子育てで気をつける事

仙台で評判のエステサロンに通っている私は大学時代、心理学部ではないものの心理学の授業が一番好きでした。卒論も子供と心理学をテーマに自分の学部に沿ったテーマで作成しました。なので子育てでは、感情よりも心理学的に教育しています。心理学と共に教育で大切にしているのは、母親のお手伝いや力仕事を一緒にすることによって父親とのコミュニケーションをはかっています。息子は現在、小学一年生です。私達夫婦は、共働きなので息子は、1歳かた保育園に入れています。なので家族3人で家で過ごす事はとても貴重な時間です。なのでその時間がつまらなくならないように、いかに子供の前で夫婦喧嘩をしないかをよく考えています。共働きの夫婦だと両方とも仕事をしているのに、母親だけ家事をして父親は家に帰ってきても何もしない事で喧嘩になります。そんな親を見ていたらぐれてしまうと思います。私達夫婦は、そこで家事分担をするわけではなく、相手を思いやる事を重視し自分のやれることをします。例えば、母親が料理を作っていたら、子供に絵本を読むとか子供に母親がお乳をあげていたら、皿洗いをしたり風呂掃除をしてお湯をためる等です。心理学的に子育ては分担ではなく協力が原則です。他にも夫婦で尊敬しあう事を大切にしています。尊敬されていなく夫婦間で悪口ばかり言い合っていたら、子供も親を尊敬できなくなり、いうことを聞きません。子供に尊敬される親を目指すと同時に、私達は家事での手仕事や力仕事を小さいころから教えています。手を使うことは、脳を使っているので、手先が器用に動く事は脳を鍛えることにもつながります。雑巾を縫ったり、くぎをうったりとお互いの得意な事で日々、教えています。そうすることで、お手伝いを自然にする子供に育ち、親としても嬉しいです。

子供の野菜不足を気にしていました

我が家の2歳の子供はあまり野菜を食べてくれないときがあります。でも鍋の時はパクパク野菜を食べてくれるのです。クタクタになるほど茹でた汁の味が染みた野菜なら食べてくれることが分かったので、コンソメスープに野菜をたくさん入れて食べさせてみたらこれもパクパク食べてくれました。
白菜、人参、もやし、玉ねぎ、水菜などいろいろな野菜を小さく刻んで入れてあげます、たまに中華スープにするときもあります。たくさん野菜スープを食べることができた次の日は快調なようで、安心します。野菜が摂れなくて便秘の時は子供もなんとなく元気がないような気がするので、野菜は良く食べさせてあげたいです。野菜ジューズも、飲ませていますが、甘さが気になるので1週間に3回くらいで少量にしています。甘い味は小さい時にたくさん覚えてしまうとクセになってしまうと先輩ママからよく聞くので気にはしています。まだ生の野菜はあげていませんが、いずれはもりもりサラダも食べられる子供になってほしいなと思います。

子供のために都会から引っ越し

「子供のために都会から引っ越してきた」という家庭ってあるんですよね。子育てのために、田舎とまでは言わないけれど、郊外都市に引っ越す家庭はまああるのです。やっぱり都会は「あそぶところ」がないのが子育てに向かないと感じる家庭もあるようで。

「あそぶところ」とはテーマパークや娯楽施設ではなく、公園といったような「子供だけでも安心してあそべるような場所」のことをさしています。学校に入学する前は、たいていどこの場所でも親がつきそっていますけれど、小学生になってからは子供たちだけでもあそびに行くこともあるでしょう。

しかしその際に、子供たちだけでもあそべる場所がないのはかわいそうだと考えて、公園へ行くまでの道も危険ではないような適度な田舎のところに引っ越した家庭もありますね。道が細く見通しが悪い道路ばかりですと、低学年が自転車でどこかへ行くことも心配ですし、それにそもそも「自転車の練習」をする場所がないのも困りますからね。

「子供のために田舎へ引っ越し」なんて今ではもうないものだと思っていましたが、実際に引っ越しをされた家庭の話を聞いてみると、今でも「あり得る」ことだと感じます。便利な都会も羨ましいですが、確かに小学生の間のことを考えると、入学前に田舎の方へ引っ越しをするのもアリだと感じます。

両親の協力でたくましく育っている娘

もうすぐ4歳になる娘がいます。妻は出産後1年半の育休後仕事に復帰しており、私は交代勤務で不規則な仕事をしています。妻は会社員ですが片道1時間の通勤をしているため子供の保育園の送り迎えができません。自宅から車で10分のところに私の実家があり両親が二人で住んでいます。たまたま入れた保育園がその実家から徒歩5分のところにある保育園でした。私が娘の送り迎えができないときは、両親が協力してくれて大変助かっています。両親も初孫であり娘を大変可愛がってくれ、娘も祖父と祖母のことが大好きです。物心ついたころから母親と会うのは週末と夜の少しの時間だけだったので、母親にべったりといった感じではありません。2歳のころから祖父母の家に一人でお泊りも平気だし、私と二人でお泊り旅行も平気で行ってくれます。妻は自分にべったりでないことが少し寂しいようですが、娘は母親と一緒にいる時はやはり妻に甘えています。たくさんの人に協力してもらって子育てできていることに心から感謝しています。

正しいお箸の持ち方と鉛筆の持ち方は、当たり前のしつけ

我が家では基本的に、子どもに対して口うるさいことは言わないようにしています。でも例外として、お箸の持ち方と鉛筆の持ち方に対してだけは、きちんとした持ち方ができるようになるまでしつけました。
娘は自分で興味を持ったことに自主的に取り組むタイプで、私が先回りして習わせたり関心を仕向けたりしたことはほとんどありません。親がやっていることに興味を持ったら基本的なことだけを教えて、後は本人に任せています。読みたい本も好きなように選ばせています。そういう性格なので、お箸の扱いも親の見よう見まねで使い始めるようになった時には、親指を立てた、なんとも不細工な持ち方になりかけていました。良くも悪くも娘に「任せている」と言えば聞こえは良いですが、普段から娘に甘えているのも事実で、この時ばかりは反省させられました。外に出た時に娘が恥ずかしい思いをしないようにしたい一心でかなり厳しくしつけました。娘本人談では「見たことない顔で叱られた」ということです。幸い、根に持たないカラッとした性格の娘にここでもまた助けられ、きちんと矯正することができました。
同じように鉛筆の持ち方にもやや難がありましたが、お箸の矯正ほど時間はかからなかったです。本人独自の持ち方で書いた時と、正しく持って書いた時とでは手の疲れが違うと、娘自身が納得したのが大きかったと思います。当たり前のことができていない親も子も見かけることが多い時代に、せめて自分の子には当たり前のことをしつけたいと感じています。